What's焼酎甲類 そもそも焼酎甲類ってなに?What's焼酎甲類 そもそも焼酎甲類ってなに?

焼酎甲類の歴史

今日までの歴史をご紹介します。

焼酎の起源(紀元前)

紀元前にエジプトで発明された蒸留機“アランビック”で製造した蒸留酒までさかのぼります。蒸留酒とその製造技術は、インド、東南アジアを経て15世紀(室町時代中期)に日本に伝わったと考えられますが、焼酎という名称で最初に登場したのは16世紀の中期(室町時代末期)です。製造方法は、焼酎が日本に伝わってから明治時代に至るまで、“らん引き”と呼ばれる釜状の蒸留機で1回蒸留され るだけの単式蒸留でした。焼酎甲類の特徴である連続蒸留法が発明されるのはもう少し後になってからです。

焼酎甲類の誕生(明治43年)

今から約170年前の1830年(江戸時代末期)頃に、英国で画期的な連続式蒸留機が開発されました。単式から連続式に変わることで、アルコール中の不純物を取り除く技術が向上し、世界の蒸留酒の味わいは一大変革を遂げることになったのです。英国の連続式蒸留機に改良を加えたイルゲス式連続蒸留機が、日本に初めて輸入されたのは明治28年頃です。
明治43年には、愛媛県宇和島の日本酒精(株)が、切り干し甘藷(かんしょ)と呼ばれる干しイモを原料にして連続式蒸留機で蒸留した“日の本焼酎”を発売しました。この製品は“ハイカラ焼酎”と呼ばれ、その品質が良好でしかも安価のため大評判となり、製造が間にあわないぐらい人気を博したのです。この後、連続式蒸留の焼酎は“新式焼酎”と呼ばれ、従来の単式蒸留の焼酎と区別されるようになりました。現在に至るまで大衆から支持を受け続けている焼酎甲類の第一号となったのです。

大正から終戦までの焼酎甲類(大正期)

焼酎甲類は大正に入ってからも生産量が好調に推移しました。大正7年、米価が高騰し“米騒動”が起こった時、焼酎甲類は米を使わない酒として脚光を浴び、空前のブームを迎えました。大正始めには5・6社しかなかったメーカーも、大正8年には65社までに増加したのです。
昭和10年から12年にかけては、戦前の焼酎の生産が最高潮に達した時期で、昭和10年には新式(甲類)焼酎の生産は、66,000klに達しました。これは旧式焼酎(30,000kl)の2.2倍の生産高でした。しかし昭和12年の日中戦争、16年の太平洋戦争の勃発などで、酒造業界は酒類の配給制の開始を始めとして数々の統制を強いられることになりました。

第1期黄金時代(昭和24年)

戦後の昭和24年、9年間にわたった酒類の配給制が廃止されました。米や麦を原料としない焼酎や洋酒類は製造が自由になり、焼酎甲類工場はようやく軍事用アルコールではなく焼酎生産の本業に復帰しました。戦後の食糧難の時代に、米を使わず大量生産が可能であった焼酎甲類は年々伸び続け、昭和31年には250,000klと過去最高を記録し、全酒類生産量の約16%を占めるまでに成長しました。この時期は焼酎甲類の第一期黄金時代と呼ばれています。

技術革新期(昭和40年)

昭和31年に生産のピークを迎えた焼酎甲類は、その後生産が減少を続け、昭和49年には生産が125,000klと半減するにいたり、苦難の時代を過ごすことになりました。その陰にはウィスキーの台頭があったのです。しかし業界はこの時代を焼酎甲類の技術革新期と位置づけ、“世界に冠たる蒸留酒”を目指して品質向上に邁進しました。
このような状況の中、昭和37年には梅酒を家庭で作ることが許可され、焼酎業界は果実酒用の焼酎甲類“ホワイトリカー”を生産しました。次第に焼酎の情勢が上向いてきたのです。

白色革命(昭和52年)

昭和49年、アメリカではナショナル・ドリンクであるバーボンの消費量を抜いてウォッカがトップに躍り出ました。いわゆる白色革命"White Revolution"です。アメリカに端を発した無色透明な酒への希求は、世界中に広まりました。
この時代の動きを察知し、焼酎メーカーは昭和52年、いっせいに新商品を発売しました。新商品とは、従来のピュアな焼酎甲類に樽貯蔵した大麦やコーン等を原料とした原酒をブレンドしたものです。この焼酎は原料の風味があり、しかもくせがないので、ストレートでも、ミックスベースでも、色んな飲み方を味わえる、ニュータイプ焼酎でした。新製品の誕生こそ、日本の白色革命にふさわしいものだったのです。

第2期黄金時代(昭和59年)

着実に新たな消費者を獲得していた焼酎甲類は、昭和57年から60年にかけてさらに爆発的に需要拡大を達成し、新たな焼酎甲類の全盛時代を築き上げました。それは折から街なかの居酒屋等で大流行したチューハイブームだけではなく、先の苦難の時代に焼酎甲類の品質、可能性を信じて製品開発に挑戦した人達の情熱に負うところが大きいのです。
昭和59年には前年対比45%増の326,000kl。そして昭和60年には369,000klという史上最高の生産数量を記録しました。この時期が焼酎甲類の第二期黄金時代と呼ばれています。

現在の焼酎甲類(現在の焼酎)

そして今日、焼酎甲類は伝統的な大衆の酒として、皆様の絶大な支持を受けています。その数は輸入焼酎の増加と相まって、平成15年には500,000kl超を記録し、現在は400,000kl後半で推移しています。
焼酎甲類の純粋な味そのままを味わえるストレートも良し、くせのないすっきりとした品質を生かして色んな物で割って楽しむのも良し、冷やして良し、暖めて良し。誰もが好きなように楽しめるお酒。それが焼酎甲類なのです。

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